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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ![]() 磯部 祥尚 /櫻庭 健年 /田口 研治 /田原 康之 /粂野 文洋 /田中 譲 近代科学社 刊 発売日 2008-09 トップエスイー講座と対偶となる教育をめざして 2009-01-29 形式手法の教育を行う場合に、受講生は全部読んでいる必要はないという命題をたててみました。 というのは、トップエスイー実践講座3では、「高度な数学的知識を習得して、現実的なシステムの仕様記述に利用することは容易でははい。」「モデル検査は、検証に必要な証明の作業を完全に自動的に行うため、上述の形式検証技術一般の問題点を解決できる。」とあることにもとづいています。 ただし、講師になる人間は、全部読んでいる必要があると感じました。 本書を読んでいて、わからない記述があったので記録します。 P21 論理命題が真であれば、その対偶は真となる。 「叱らないと勉強しない」(命題) 「勉強すると叱る」(対偶) 解釈としては 「勉強しているということは叱られたから」 という記述がありました。 疑問に思った点は、勉強していはじめたときと、叱ったときが同時でればよいのではないでしょうか。 「勉強しはじめたときにちょうど叱った」 というのが真であれば、 叱る方は「叱らないと勉強しない」と思うし、 勉強している方は、「勉強しはじめたときにちょうど叱った」と思うという理解ではだめでしょうか。 そのため、対偶としては、 「勉強しはじめたときにちょうど叱った」 といのではだめでしょうか。 あるいは、 叱る側の立場 「叱らないと勉強しない」 「勉強しているということは叱られたから」 というのは、すでに順序関係を含んでいるので、その記載がないことが問題なのでしょうか。 ところで、勉強する側の立場 「勉強しはじめたときにちょうど叱った」 の対偶は 「叱らなかったときに、勉強を始めなかったことがある」 というのでよいでしょうか? ps. 命題が複数の人間に関するものは、表現を注意する必要があるのではという理解でよいでしょうか。 さらに詳しい情報はコチラ≫ |
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